正義と正義の融和の先に
昨日は終戦記念日。
我想い、亡くなった方々に黙祷を捧げます。
今を生きる日本人にとって、この日はやはり、特別です。
この平和な日本において、過去の悲惨な戦争があった事を忘れてはならないと思います。
戦争を知らない世代だからこそ、過去の戦争を知る必要があると感じます。
今日は少し相続税講座をお休みして、お付き合いください。
戦争から起こる悲劇は、我々の財産、そして命を奪います。
尊い命の奪い合いを誰も望まないのに、戦争はいつの時代でも起こります。
そこには、国家間の正義と大義名分が存在しているような気がします。
正義は諸刃の剣です。
内なる存在として認識する場合は自らを守ることができますが、いったん外に向けると人を傷つけます。
正義の主張を相手に向けると、最終的に戦争へ発展します。
自己の正義を相手に強引におしつけると、暴力になります。
この正義の主張はなにも、国家間だけではありません。
相続の争いの場においても、常に発生します。
自分が正しいという正義を主張すると、相手の正義とぶつかり合います。
どちらの主張も正しいけど、どちらの主張も自己中心的です。
自己の正義は、自己の中で完結すべきであって、相手に押しつけるものではありません。
個人、法人、国家を問わず、自己の正義の主張ではなく、重要な事は、相手の事を良く知ることだと思います。
相手の文化、価値観、アイデンティティ、思想を認識することで、対話として道が開けてくると思います。
戦争と相続争いは、次元としては違うかもしれませんが、争いの根は同じような気がします。
戦争のない世界。
争いのない相続。
終戦72年目を迎え、今、私自身がやっている相続という”仕事”の意義を問う際に、柳田国男さんの「先祖の話」の一説を紹介します。
「人が死ぬと霊は故郷へ向かう。歳月が過ぎると霊は個性を失い、他の祖霊と融合して氏神になり子孫を見守る」
まさに、相続は、この想いに集約される気がます。
亡くなった方の先祖を尊い、偲び、祈る心だと思います。
今ある平和な日本の礎として築いて頂いた先達に感謝し、そして、親や先祖に感謝し手を合わせます。
お盆の日と終戦記念日に改めて、先祖の御霊(魂)を強く感じます。
最後まで、読んで頂きありがとうございます。